生き抜いて、また1局
白馬 作
囲碁は人の命だって救うことがある。そんなふうに聞いたら、かつての僕は笑い飛ばしていたと思う。でも、ウクライナでユーリと出会い1局を共にした今、その言葉は僕にとって紛れもない真実になった。
公園のベンチで若者が談笑している。手に持った珈琲が冷めるのもおかまいなしだ。犬と散歩する親子連れや、黙々とスクワットを繰り返す青年もいる。ウクライナの冬は薄暗く、肌を刺す寒風が厳しい。それでも道ゆく人は、できるだけ外の空気を吸おうとしているようにみえる。
ユーリが僕の顔をのぞき込み、つぶやく。
「ありふれた休日って感じ。戦争中だなんて思えないだろ。でも、今にわかるよ」
僕は戦時下にある西部の町リビウを訪れていた。ある新聞社の欧州特派員として、避けては通れない仕事だ。激戦地からは大分距離があるものの、つい数日前には市内の小学校の敷地にミサイルが落ちている。
危険地の取材には協力者の存在が欠かせない。ただ、土地勘がない場所で見つけるのは至難の業だ。僕は一計を案じ、リビウの囲碁クラブを頼った。碁打ちのジャーナリストが行くと伝えると、すぐに許可がおりた。ユーリが二つ返事で案内人を引き受けてくれることになった。
「俺は君を案内する。君は俺に囲碁を教える。それで手を打とうじゃないか」
初対面でも、相手が碁打ちだと分かれば少し安心だ。なんとなく通じ合うものがある。 しばらく取材に付き合ってもらった帰り道、ユーリは振り返って僕に言った。
「ただの囲碁友達として出会いたかったなあ。ガイドや通訳じゃなくて。君は人使いが荒いんだから」
彼は歯をみせて豪快に笑った。
その日は突然にやってきた。
「ウ~ウウウウ…ウ~ウウウウ…」
ゆっくりしたテンポの重いサイレンが、晴れた静かな空を切り裂いていく。空襲警報だ。心臓は、こんなに速く脈打つものだったか。鳥肌が立ち、冷たい変な汗が出てきた。動揺する僕をよそに、ユーリは慣れた足取りで地下シェルターに向かう。
「ここにいれば安全だよ」
地面が「ズズズズ…」と音を立て、小刻みに揺れる。彼は眉一つ動かさない。驚くほど落ち着いていた。
「俺たちはもう慣れちまった。これが新しい日常なんだよ」
かつてワイン倉庫だったシェルターに1時間ほど身を隠した。
「持ち運べるサイズの碁盤を持ってくるべきだったな。碁打ちは我慢強い。いくらでも待つことができるからね」
ユーリは「せっかくだから」と自分語りを始めた。
親戚が爆撃から間一髪で逃れたこと。兵役に行って消息を絶った友人がいること。不安から将来の見通しがたたないこと。話すうちに、ユーリの瞳に影が落ちていく。顔がこわばり、一瞬だけ遠くを見るような表情になる。そのまま彼は黙った。僕は何も言えず、警報が止むまで沈黙が続いた。
その日飛んできたミサイルはユーリの自宅をかすめたらしい。
「家に帰ったら窓ガラスが割れていて、掃除が大変だったよ」
ユーリは、僕に見せたい場所があるといった。辛い体験をした子どもたちの心をケアする施設だ。そこでは、ユーリと同じような瞳をいくつも見た。大きな音に肩をすくめる子。呼びかけても反応が返ってこない子。職員は、それを「フリーズ」と呼んでいた。
「この子たちの感情を呼び戻し、前を向く力を後押ししたいんだ」
ユーリは、囲碁こそがそのツールになり得ると言った。でも、チェスだって日本の将棋だって、ボードゲームはたくさんある。なぜ囲碁なのだろう。
「王様を倒せば終わりってわけじゃない。そこが良いんだ。続きを聞きたいか?じゃあ、リビウ囲碁クラブにおいでよ」
戦時下の囲碁会は、リビウ市のボードゲームカフェで開かれていた。扉を開けると
「パチッ…パチッ」
と小気味いい音が響く。 僕はフウッと息を吐いた。おなじみの場所に帰ってきた感じだ。そうか、ずっと緊張していたんだ。
「ようこそ、今日は日本からチャンピオンが来てくれたよ」
またもやジョークを飛ばしながら、ユーリがクラブのメンバーを紹介してくれた。
最初の相手は小学生のトハムだ。自己紹介もそこそこに「早く打とうよ!」と碁石に手を伸ばした。僕はウクライナ語を解さない。でも確かに、彼は「早く打とう」と言った気がする。ユーリが僕にウィンクする。
「碁盤を挟むと、なぜか相手が何を言っているのか分かるよな」
トハムは、よく話す子だった。
「昨日の警報きいた?怖かったよ」
手を進めながら、ぽつぽつと。
「警報がなる度に授業も中断さ。勉強がしたいのに」
「パパも戦争から帰ってこないんだよ」
ゆっくりと紡がれるトハムの言葉を、ユーリが訳していく。
トハムの打ち手は大胆だった。確実に、こちらの陣地を削ってくる。僕はたまらず、彼の石の集団を包囲しにいった。囲まれて身動きが取れなくなった石は「死ぬ」。盤上から消え、僕の陣地に様変わりしてしまう。僕は彼に笑いかける。さあ、この石たちは生き残れるかな?
トハムは暴力的な手を前に、息を飲んだ。手を止め、下を向いて考え込む。僕らの盤上にだけ、沈黙がおりてきた。周りの石を置く音や話し声が、はるか遠くから聞こえてくる。彼はゆっくりと深呼吸して、そっと石を置いた。
逃げ場を失いそうな石の集団を、何とか生かそうとする手だ。僕はさらに包囲網を狭め、追い込んでいく。厳しく、相手がより苦しむ方向に。
トハムは盤を見つめていた。彼は一手ごとに時間をかけた。一言も発しない。深く息を吸い、盤上に潜っている。その視線は石の先にある何かを見ているようだった。やがて、僕のわずかな隙をついて彼の石は包囲網を破り、窮地を脱した。
「争いは盤の上だけで、たくさんだよ」
やっと言葉を絞り出したトハムの瞳には、光が宿っていた。一瞬の静寂の後、クラブのメンバーが「よく言った」と頭を撫でる。トハムは、はにかんで応えた。
ユーリは「ほらな」と僕の肩に手を置く。
「楽しさだけじゃない。陣地を奪われたり、石を殺されたり。悲しみや憎しみにも向き合いながら最善を探す。囲碁は人生に似ているんだ」
ユーリとの対局は、この日の最後に用意されていた。
「クラブを盛り上げてくれて、ありがとう。俺たちの『頂上決戦』も白黒つけようじゃないか」
ユーリの手は、自由だった。勝ち負けよりも、盤上で希望を探しているようだ。僕は彼と目が合った。瞳に落ちていた影は、少し薄まったように見える。僕たちは目の前の石のぶつかり合いに没頭した。
ユーリは危険を承知で僕の石に近づき、踏み込んでくる。乱戦になった。僕の石が激しい攻めをかわし、彼の石の集団を包囲する。勝負はあっという間に決した。ユーリは少し悔しそうに唇をかんで僕を見た。
「どうだい、俺の碁は楽しいだろう。夢ばかり追いかけて勝てない時もあるけれど」
ユーリは顔をくしゃくしゃにして笑った。瞳には、再び光が宿っていた。
「囲碁を打っているから、俺は生きているんだ」
バスに乗って出国する日。囲碁クラブのメンバーが見送りに来た。また会う日まで…元気で。そう伝えると、ユーリは「違うだろう」と僕を抱き寄せ、しっかりハグした。
「俺たちは囲碁を打っていれば、必ずまた出会う。別れの挨拶はこうでなくちゃ。絶対に生きて、また1局打つんだ」
動き出したバスの窓から、遠ざかる彼らの姿を追った。ついに見えなくなってしまうまで、彼らは何度も何度も僕に手を振り続けた。
日本に帰国した今でも、僕はたびたび碁盤に向き合う。白と黒の石がつくるシンプルな世界は、あの過酷な空の下を生きる彼らとも繋がっている。囲碁の扉は誰にでも、どんな場所にでも、等しく開かれている。生き抜いて、また1局。この約束は、いつも僕の胸の中にある。
息苦しい世界で見つけた盤上の深呼吸
犬童雄亮 作
I. 鉄の重力と、心の無重力
かつての私は、自らの確かな存在意義を「物理的な重さ」によって証明しようとしていた。ガッチリした身体をベンチに沈め、バーベルを固く握り込む。
そして、140キロという分厚い鉄の塊を、重力に逆らって天へと力強く押し出す。筋肉の軋む音と、冷たい鉄を押し切った時のあの確かな手応えこそが、自分がこの過酷な世界にしっかりと足を踏み締め、立ち向かえていることの何よりの証明だった。
しかし、心の病である「うつ病」は、そのような物理的な防壁など存在しないかのように、いとも容易く人間の内側へと侵入してくる。
静かな、しかし周到な泥棒のように、私の内側から「生きるためのエネルギー」を少しずつ、しかし根こそぎ奪い去っていった。うつ病の最も残酷な側面は、「何もしたくない」という完全な思考停止状態とは少し違うところにある。「本来の自分なら情熱を持ってやり遂げたいはずだ」という明確な理性や焦燥感は生々しく残っているのだ。それなのに、いざ実行に移そうとすると、身体と心をつなぐ回路が完全に断線してしまったかのように、推進力という名のエネルギーが全く湧いてこない。
かつて重い鉄を押し上げていた私にとって、それはあまりにも屈辱的で、絶望的なコントラストだった。朝、ベッドから起き上がるという日常の極めて些細な動作が、140キロのバーベルよりも途方もなく重く感じる。玄関のドアを開け、外の空気を吸うためのエネルギーすら捻出できない。自分の頭と身体が切り離されてしまったかのような、風通しの悪い冷たい灰色の回廊にただ一人立ち尽くし、無慈悲に過ぎていく時間を前にただ格闘するばかりの日々。世界は完全に色彩を失い、私は深い麻痺状態の中で、ただ静かに窒息していくのを待っているかのようだった。
II. 五グラムの石と十九路の聖域
そんな息の詰まるような停滞の底、すべてへの希望を失いかけていた私が、偶然にもたどり着いたのが「囲碁」という世界だった。
それは、囲碁が私に対して「無理な物理的活力を一切要求しなかった」からに他ならない。世の中の多くの活動は、私に明るい笑顔を作ることや、快活な声色を装うこと、他者のペースに無理をして合わせることを強要する。しかし、十九路の木の盤は、私に何も求めてはこなかった。
ただ、指先で小さな石を静かに挟み、交点へと置くこと。必要なエネルギーは、わずか五グラムほどの石を持ち上げる力だけだった。「これなら、エネルギーが枯渇した今の自分にもできるかもしれない」。それは、何もできないと絶望しきっていた私にとって、暗闇の底に差し込んだ一筋の細い光だった。
初めてその場所――あるプロ棋士のご家族が営む囲碁教室――の扉を開けた時のことは、今でも鮮明に覚えている。エネルギーのない自分がこのような空間に入っても良いのか。場違いではないだろうか。しかし、その重い扉の向こう側に広がっていたのは、勝敗を巡る殺伐とした戦場ではなく、傷ついた鳥が静かに羽を休めるための、驚くほど温かく、そして静謐なサンクチュアリ(聖域)だった。
III. 温かい港
この教室で、私はその後の人生を大きく変える、かけがえのない出会いをした。 エネルギーを失い、右も左も分からない私を、驚くほどの温かさと細やかな気配りで迎え入れてくれた。ルールすらおぼつかない私に対し、決して急かすことなく、入門レベルから絡まった糸を丁寧に解きほぐすように教えてくれたのだ。
しかし、本当の素晴らしさは、単なる技術的な指導の枠を大きく超えたところにあった。私がメンタルの不調で深く苦しんでいること、時折どうしても気力が湧かず、盤面を見つめたまま指先が固まってしまうこと。そうした私の内側の言葉にできない痛みに、ごく自然に気づき、深く心配し、そして極めて繊細に寄り添ってくれたのだ。
単なる盤上の解説ではなく、囲碁の理屈を通して、まるで「うつ病で何もできずに立ち止まっていた私の時間」そのものを肯定してくれるような、魔法のような言葉だった。世間の早いペースから脱落し、自己嫌悪に苛まれていた私にとって、奥様が守り、仕切るこの教室は、唯一安心して深く呼吸ができる「心の避難所」となっていった。
IV. 盤上の対話
この温かい空間では、時折、プロ棋士である息子さんたちに「指導碁」を打っていただくという、身に余る光栄な機会にも恵まれた。
プロの放つ石は、素人の私が打つ石とは、まるで別の重力を持っているかのように盤上に響いた。無駄がなく、美しく、それでいて圧倒的な力強さを秘めている。一方の私は、目の前の生き死にばかりに執着する初心者だ。
しかし、彼が私に対して打ってくれる指導碁の石には、言葉を持たない確かな「対話」があった。私の不格好で的外れな意図を的確に汲み取り、あえて厳しく咎めることもあれば、優しく受け流して私の小さな陣地を認めてくれることもあった。静まり返った盤上で、黒と白の石が交差するたびに、私は「あなたはここにいてもいいのだ」「あなたの打つ手には意味があるのだ」と、無言のうちに許され、肯定されているような感覚を覚えた。
気力がなく、言葉で自分の思いを他者に伝えることが途方もなく億劫だった私にとって、この盤上での静かな対話は、どんな名医のカウンセリングよりも直接的に私の心の奥底に響き、失われていた熱を少しずつ呼び覚ましてくれた。
V. 家族の風景と、ささやかな温もり
教室の空間には、プロ九段であるお父様の先生や、囲碁インストラクターであるお姉さんが顔を見せることもあった。
私自身は深く語り合ったわけではなく、すれ違いざまに短い言葉を交わした程度だ。しかし、当時の私にとっては、その「過度な干渉のない、ささやかな関わり」こそが、何よりも心地よい距離感だった。
九段の先生がそこにいらっしゃるだけで、教室の空気には静かな威厳と、背筋が伸びるような安心感がもたらされた。そして、お姉さんの持つ穏やかで明るい雰囲気が、空間全体を柔らかく和ませていた。だが、この温かい家族の存在そのものが、教室を仕切る奥様の優しさと相まって、私という不出来な教え子を冷たい外の世界から守る「見えない毛布」のような役割を果たしてくれていたのだ。
少し言葉を交わすだけで、自分がこの豊かで知的な世界の一部として、静かに受け入れられていると感じられる。それは、孤独な灰色の部屋に閉じこもっていた私にとって、静かな、しかし確かな生きる喜びだった。
VI. 呼吸するための「二眼」
囲碁のルールの中で、私が最も心を惹かれ、また自分自身の回復と深く重ね合わせた概念がもう一つある。それが「二眼(にがん)」という生きるための形だ。
盤上で石の集団が永遠に生き延びるためには、その集団の内側に「眼」と呼ばれる独立した二つの空間を作らなければならない。眼が一つしかない集団は、どれほど広大に陣地を広げようと、最終的には相手に急所を突かれてすべて捕獲されてしまう運命にある。しかし、確実に二つの眼を持った石は、盤上にどのような嵐が吹き荒れようとも、決して死ぬことはない。
この絶対的な真理を知った時、私は深い安堵とともに自分の過去を振り返った。うつ病に呑み込まれていた時の私は、まさに「眼を持たない石」だった。仕事や日常の義務という盤面で、必死に意地を張り、陣地を広げようと戦っていたが、自分の内側には息をするための安全な空間(眼)が一つもなかったのだ。常に何かに追われ、息を止めながら走り続け、やがて心が窒息してしまったのは必然だった。
そして今、私はこの囲碁というゲームと、あの温かい教室の方々との関わりを通じて、自分の心の中に「二つの眼」を構築する作業をしているのだと気づいた。
・一つ目の眼: 一切の評価や社会的プレッシャーから解放され、ただ静かに石を打つことだけに没頭できる「盤上の時間」。
・二つ目の眼: 私の至らなさや不出来な部分をすべて受け入れ、メンタルの苦しみに寄り添ってくれる「みなが待つ、あの教室という居場所」。
この二つの独立した安全な空間を手に入れたことで、私の心はついに、再び深く呼吸ができるようになったのである。
VII. 打ち掛けの譜面と、色づき始めた世界
私はまだ、うつ病から完全に抜け出したわけではない。時折、空がひどく曇天になる日や、理由のない疲労感が体を覆う日には、あの冷たい灰色の回廊の記憶がフラッシュバックし、足がすくむこともある。
しかし、今の私には帰るべき港があり、見つめるべき盤面がある。もし、今のあなたが過去の私のように、エネルギーが枯渇し、何もできず、ただ苦しい時間と格闘しているのだとしたら、どうか自分を責めないでほしい。動けないのは、あなたが弱いからではない。心の中の「眼」が塞がり、呼吸ができなくなっているだけなのだ。
人生には、無理に大きな陣地を作ろうとしなくてもいい時期がある。今はただ、盤面の隅っこで、たった一つでいいから自分が安心できる小さな居場所(眼)を作ることだけに専念すればいい。何もできない日は、「パス」をしたって構わないのだ。
不出来な教え子である私は、今日もまた、あの温かい教室へ向かうだろう。教室を優しく包み込む奥様の笑顔にホッと息をつき、息子さんの指導碁に胸を借り、九段の先生やお姉さんとささやかな挨拶を交わしながら、不格好な石を盤面に並べていく。
盤上にはまだ、打つべき場所が無限に広がっている。かつて灰色一色だった私の世界は、温かい木の肌の色と、凛とした白黒の石のコントラストによって、今、静かに、そして確実にその色彩を取り戻し始めている。
私は囲碁を打ちません 息子との約束だから
by のぶのん
タイトルを読んで単に囲碁に興味がないのか嫌いなんだろうと思われたかもしれません。違います。私は囲碁が大好きです。というか推していると言ったほうがいいかもしれません。
どれくらいかというと。例えば、日本棋院のホームページは毎日チェックするし、YouTubeで対局が配信されていればいいね!を押し、日曜の昼はもちろんEテレ。囲碁フォーカスは初回から欠かさず見ています。 と言っても囲碁は打たないので講座は流し見で囲碁界の話題をチェックするために。コインロッカーも15番が空いてれば嬉しくなりますし、新幹線も5号車の15番を予約しがちです。バッグには扇子が入っていて、靴下やハンカチ、ポーチや傘など白黒の水玉模様を見るとつい手に取ってしまいます。囲碁好きあるあるだと思うのですがどうでしょうか。囲碁を打たないのにどうしてこんなにふうになったのか。それは30年ほど前、突然息子が囲碁と出会った日から始まりました。 息子は3歳前にオセロと間違えて囲碁に興味を持ち、田舎の祖父にルールを教えてもらって夢中になりました。その後なんとか幼稚園生でも教えてもらえる碁会所を見つけ習い始めました。最初は椅子に座布団を何枚重ねても碁盤の隅まで手が届かず滑り落ちてしまうほど幼かったので先生も大変でしたが、詰碁が出来ると大きな花まるをつけてくれたり棋譜並べも楽しく続けられるように工夫して指導してくださったおかげで、幼稚園の七夕祭りの短冊に「大きくなったら囲碁の先生になれますように」と書くほど大好きに。まだ棋士という言葉も知らない息子は碁会所の先生が一番囲碁が強いと憧れていました。 19路盤も問題なくひとりで打てるようになり対局も楽しくなってきたころ、子供大会に出てみないかと先生からお誘いがありました。まだ幼稚園生だったので他の人に迷惑がかかるのではと心配しましたが、息子は大会に出ると級がもらえると聞いたのでやる気満々。それなら力試しにと参加することに。 会場には幼稚園生から中学生までたくさんの子供たちが集まっていました。普段は碁会所のおじいちゃんやおばあちゃんに相手をしてもらうことが多く同年代の子供たちと何局も打つのは始めて。緊張しながらも始まると嬉しそうにパチパチと勢いよく打ち始めました。低学年の子供たちはたくさん対局をするのが目的だったような気がします。 子供大会ですから当然保護者が引率してきてそれぞれ自分の子供の後ろに立って対局を見ています。もちろん口出しは厳禁なので言葉にはしませんが、負けそうでハラハラしているお母さんや今にも手を出しそうなほどイライラしているお父さん、形勢が逆転して嬉しそうなお父さんなど表情を見ているだけで勝敗がわかるほど。 対局が終わるとそれぞれの親子の会話が嫌でもあちこちで聞こえてきます。なんであんな手を打ったのかと怒鳴り散らしているお父さん、勝ち星を競ってケンカしている兄弟を叱っているお母さん、どこで間違えたのかをすぐに反省させて泣いている子供に手筋を教えているお父さん、作戦通りに打たなかったことを責めるお父さんなどなど。 私は初めてそこで知りました。親が囲碁を打つから子供も囲碁をしているのが普通で、子供からやりたいと言い出し親が出来ない家庭は極めて珍しいことを。そして焦りました。田舎の祖父が出来るからと特に気にしていませんでしたが、付き添いの親が手取り足取り導いていかないと子供は強くなれないのではと。その日は運良く勝ち越したので級を認めてもらい息子は満足そうでしたが、私はこの先どうなるのかちょっと不安な気持ちのまま帰宅しました。 次に碁会所の先生にお会いした時に正直に大会で目にしたこと焦っていることを相談しました。すると先生は笑って「そんなことは全く関係ないですよ。下手に口出しするより本人のやる気です!」と言ってくださいましたが、私のもやもやした気持ちは軽くならず。 碁会所だけで勉強するより家で一緒に詰碁や棋譜並べをしたり対局もいつでも出来たほうがいいに決まってる。子供教室に付き添っていたので対局はしたことないけど最低限のルールは理解していたし、ちゃんと勉強すれば私にも囲碁が打てるのではないかと。今思えば、子供のためだけにと思っていたので自分が囲碁を楽しもうなんて全く考えてもなかったし、そんな気持ちでは続かないし上達することもなかったでしょう。逆に嫌いになっていたかもしれません。息子のためにもやらなくて良かったと思っています。 でもその時の私の頭の中はグルグルといろんな考えと不安と焦りがいっぱいで抑えきれず、帰りの車を運転しながら息子に聞いてみました。 「ママも囲碁打てるように一緒に勉強しようかな。そしたらおうちでもたくさん囲碁出来るし楽しいでしょ?」と。 息子はびっくりした顔で 「だめだめ!絶対ママは囲碁をしちゃだめ!」 と泣きそうに。なんで?とこっちがびっくり。喜んで一緒に頑張ろう!と言ってくれるかもなんて心のどこかで期待していたのに。 うるうるした瞳で 「だって、○○くんのお父さんは対局してる後ろでいつも怖い顔でにらんでて怖いし、××ちゃんのパパは終わってからなんであんな簡単なところで間違った手を打ったの?って怒鳴っててお昼ご飯の時も勉強しなきゃいけないでしょ。泣いてもダメなんだよ。怒られててかわいそうだったもん。ママも囲碁出来るようになると怒るでしょ。やだやだ!」 「囲碁はね、楽しいんだよ。どこでも好きなところに打っていいって先生も言ってたし、でね、強くなったら大学生のお兄ちゃんや碁会所のおじいちゃんにも勝てるようになるんだって。すごくすごく頑張ったら段ももらえるかもしれないって!」 「だからね、ママが怒ると囲碁に連れて行ってくれなくなるかもしれないし。たくさん囲碁出来なくなるじゃん。それは絶対嫌だ!」 「ママはどっちが勝ってるかわからないから後ろで見てても怖くないし、間違って逆転負けしても怒らないでしょ。いつもニコニコ見ててくれて、勝っても負けてもよく頑張ったね、お疲れさま、次も頑張ろう!って応援してくれるでしょ。お昼ご飯も楽しいし。ママはそれでいいの。囲碁が出来ないママがいいの!だから絶対に、絶対に、絶対に!囲碁はやっちゃだめだからね。お約束だよ。絶対破ったらダメなお約束だからね。囲碁が出来るようになったらママのこと嫌いになるからね!」とまで。しつこく何度も家に着くまで必死にとめられました。 大会の時は自分の対局で精一杯だったし、まさかそんなふうに周りをちゃんと見ていたことにも驚いたし、幼い息子がそこまで囲碁のことを考えていることにもびっくりしました。囲碁のおかげでいつのまにか成長していたようです。あんなに真剣な顔でうるうるした瞳でそこまで言われたら約束するしかありません。 「ごめん!わかった!約束する!絶対ママは囲碁を打ちません。いつも笑顔で応援してるね!何があってもずっと味方でいるからね!」と。 それからはもう迷いはありませんでした。いろんなところでなんでお母さんはやらないんですか?楽しいですよ?と何度誘われても、鼻で笑われても。「私、囲碁は打てないんですよ!」と胸を張って笑顔で答えます。だって息子に嫌われたくありませんから。私が囲碁を打てるようになるより息子が楽しく好きなだけ囲碁を打てる環境を作ってあげることが息子のためだと気が付いたので。誰に何と言われても! 幼い息子と交わしたその約束をもう30年ほどたった今もずっと守っています。もはや願掛けに近い気持ちですが。そのおかげか息子は七夕の短冊に書いた夢を叶え棋士になりました。 ある時、もうすっかり大人になった息子にふと聞いてみました。「あのときの約束覚えてる?」と。とぼけた顔で「そんなこと言ったっけ?」と笑っていました。忘れているのか照れ隠しなのか。今思い返してみると、ママ囲碁はやらないでね!と言ったのは息子の優しさだったんじゃないかと思うのです。自分が怒られて楽しく囲碁が出来なくなるのが嫌だったのは本当の気持ちだと思いますが、生活のすべてが自分の囲碁中心になっている私に少しでもつらい思いをさせたくなかったのではと。後ろで見守る私にハラハラ心配させないように。勝負師になるには根が優しくて棋士に向いてないと子供のころからよく言われていた息子ですから。 今はAIで評価値が見えるので囲碁が打てなくてもハラハラしますけど。いやAIがなくても母にはわかるのです。どんなに誤魔化していても対局姿を見れば苦しいのか楽しんでいるのか体調が悪いのか緊張しているのか寝不足なのか負けそうなのか。 どっちにしてもハラハラしますが、それでもいいんです。もちろん勝って欲しい!1勝でも多く。勝てばまた次につながりますから。でも囲碁は必ずどちらかが負けるのです。悔しくつらそうな息子の顔は見たくはありませんが、それでもまた次に向かって大好きな囲碁をずっと続けている姿が誇らしいのです。それだけで十分親孝行です。息子が囲碁を続けているうちは約束を守りたいので私は一生囲碁を打てないと思います。でもやっぱり私は囲碁が大好きです。こんなちょっと変わった囲碁好きがいてもいいかなと思い初めてエッセイを書いてみました。最後まで読んでいただきありがとうございました。